43. 資源は有限、創造は無限

 昨年の暮れに六本木ヒルズで開かれたシンポジュームに出かけた。
クリスマスが迫っていたこともあってのことかも知れないが、大都会の中に凝集されたもう一つの都市があるように人がたくさん集まり、めまいがするようであった。
シンポジュームは考えさせられるテーマが多く提供され議論された。そのなかで一つ気になったのは、理系の人の社会的評価が低いのではないかという話の展開の中で、日本の大手企業では理系の出身の社長が極めて少ないというデータを取り上げていたことである。


果たして社長になることが企業の中で理系の出身者にとって至福のことなのかといえば、個人に帰着するということかもしれないが、経営能力に長けていなければ、むしろ理系で無いほうがいいのではないかというのが筆者の経験的に導き出した結論である。
企業の発展にとってはむしろ、技術役員のトップにある人の器の大きさのほうが重大だろう。
社長と、技術のトップとの間の信頼関係や、社長が、技術の細部はわからなくても、技術に期待をかけ、技術者をエンカレッジ出来るパーソナリティーを持っているほうが重要であろう。むしろ理系の社長の場合には、技術の中味に入ってきて引っ掻き回して、エンカレッジでなく、ディスカレッジさせてしまう危険性が潜んでいる(もちろん理系の経営者にもバランスの取れた人も少なく無いと思う)ように思う。


要するに地位の高低よりも、持てる素質を最大限発揮して使命達成の充足がえられることのほうが評価として高いとすれば、技術のトップとしての重責を担えれば十分であって、理系の社長の数を評価の軸に置くことには疑問が生まれてくるのである。
筆者の経験でも、大型プロジェクトの推進に当たって経理部門、人事部門と(最近は両部門にも理系出身者が増加はしてきているが)話をし、決裁を頂く場面で、技術に対する期待を十分に感じ取ることが出来、責任を重く感じる一方大きな励みになったものである。


ある部門で大変世話になった経理部長が転勤する際に頂いた挨拶状には毛筆で「蒸着テープの開発・事業化を是非成功させてください。資源は有限、創造は無限といえます・・・・・」とあった。蒸着テープの苦難の時代を陰で支えて頂いた恩人の一人である。
機会を捉えてはこのテープの事業化の鍵を握ることについて説明をし、理解を求め、投資の継続をお願いした。あるとき経理部長からすぐ来てくれといわれて飛んで行った。部門の経営トップから、「蒸着テープは止めてしまえ。機械設備は即廃棄に問題があるなら、封印して、固定資産税も払わなくてよいようにするように」との命令があったらしく、経理部長が苦渋の表情を浮かべて、少しずつ、且つ遠まわしに質問を始めた。
「機械設備を止めたらどうなるか?」
「機械は腐りますなあ。二度と使い物にならんようになりますなあ」
「機械はドイツ語では女性名詞なんだそうで、よく整備をして大事にすれば、必ずいいデータをだしてくれるのに、ほっといたらあきまへんわ」
といった調子のやりとりで、経理部長も「こいつ技術屋か」と思ったかもしれないが、蒸着テープをここで止めたら将来に禍根を残すことを訴え、細々でも続けられるように説得をした。その間包み隠さず、解決すべき課題と難しさを話した。その中で、蒸着テープにとって無くてはならない主材料のコバルト金属の産地が地球規模で偏っていて、かつ具合が悪いことに、アフリカの紛争地域が主産地(当時の)で、価格面も、供給面も不安があることから、是非、経理、資材部門からも後押しを頂いて、金属メーカーと共同で材料のリサイクルがやれれば事業に出来ることなど訴えた。
又、チームは活性化されていて、創意工夫で事業化にとって重要な特許も多数取得しているので、固定費は確かに重たいがチームを維持してくれるよう説得もした。
そんなことがあったせいで、資源は有限、創造は無限と記されている文面に強い感動を覚えたことを昨日のことのように思い出す。

今、ナノテクノロジーに係るようになって、「資源は有限、創造は無限」をいっそう重く受け止めている。
巨額の公的資金を投下して進める基礎研究は特に、説明責任が求められているが、基本はまず自分の言葉で志(夢)を語ることである。専門的な研究成果をわかりやすく説明できるように心がけることも大事だが、思いはテクニックだけでは伝えたい相手に届かない。

コミュニケーション能力や、プレゼンテーション能力を高める系統的なプログラムが日本の教育システムの中に早期に組み込まれていくことに期待するものの、即効性は無い。
研究者は寡黙なほうが軽そうでなくてよいと世間も思っているようなふしがあるが、黙っていればいいかというと、それはそれで不気味である。
頭のいい人が何を考えているかがわから無いというのは庶民にとっては怖いことである。上手下手など気にせず、思うところを、機会を捉えて発信していって欲しいものである。


                                    篠原 紘一(2004.1.16)

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