40. ブレークスルー

 今年は、残念であるが10月のノーベル賞ウイークは静かに過ぎてしまった。
昨年までの3年間は、連続しての、ノーベル賞の受賞のニュースが飛び込んできて日本列島を熱いものが被った季節だ。

マスコミも誰々が受賞したら、誰にコメントをもらって、どんな記事を書くか備えていたのに朗報がもたらされることは無かったので、拍子抜けしたのかもしれないが、医学生理学賞は、核磁気共鳴影像法(MRI)の米国・英国の学者に(もう一人受賞に値するとして、ニューヨークタイムスに全面広告を出した学者がアメリカで話題になっているとの記事には感心したり驚いたりである)、物理学賞は超伝導の理論の米国の二氏、ロシアの一氏に、化学賞は細胞のチャンネル解明の米国の二氏に決まったのであるから、業績をたたえるとともに、わかりやすく関連の科学についての解説記事や、受賞の業績が生まれる過程のエピソードなどを紹介してもらえれば、科学の啓蒙にもってこいの場になるのに、日本人の受賞者がいないからといって一緒になって口数が少なくならなくてもいいのではと感じた。

多くの発見や、発明の瞬間は、ブレークスルーの瞬間でもあることが多い。
この事例に多く触れることは、若い研究者や技術者には筆者の経験でも意義深いことであった。世の中に氾濫している成功物語は、後付の話も多く、生々しく語られても加工されて面白おかしく誇張されていたり、事実と異なっていることすらあるので、それぞれ自らの経験に照らしながら本質をつかむよう努力したいものである。そうしてもらえるものとして気軽に筆者の経験を紹介していきたい。


この話は、家庭用ディジタルビデオに使われている蒸着方式のビデオテープの基板になっているポリエステルフィルム(ポリエチレンテレフタレート:PETフィルム;いわゆるペットボトルと同じ素材からなっている)に構成されている100ナノメートル級の酸化物ナノ粒子をばら撒いたように仕上がった極めて微細な凹凸がどうして生まれかのエピソードである。
1980年代の初め、家庭用のビデオテープレコーダー(VHS方式)が急成長を遂げていた時代のことである。家庭用のビデオレコーダーは、放送番組を記録して楽しむ、タイムシフトマシンと映画などのレンタルソフトを家庭で楽しむために使われ普及していった。
そのような状況下、エレクトロニクス業界は、次のビデオとして動画を撮ることの出来るカメラ方式のビデオを開発していた。新しい記録方式は最低でも10年の商売に耐えるだけの技術ポテンシャルをもたなければならないので、キーになる要素の一つとしてテープも新しいタイプのものが開発されるのが通例であり、筆者の勤めた会社は、実用化例の無い蒸着型のビデオテープの採用に賭けた。
フォーマットの提案発表時には、少なくともプロトタイプのデモンストレーションが出来ないようでは、相手にされない。発表のXデーも決まって、発表のやり方も決まった。ところが、デモに使えるテープが出来ないのである。
問題は大きく2つあった。VHSテープのおよそ10倍の出力が出せるテープだったことから、ビデオレコーダー開発側も、懸命の努力をしてくれていたが、そうは言っても許容できる範囲の変動で収まる速度で機構上をテープが動かないことには、美しい画質は得られないといった、テープ走行性といわれる性能と、信号回路で補正できない信号の欠落の原因となる表面の、いわゆる異常突起と呼ばれるミクロの不均一性が、試作してレコーダにかけてみないとわからない状況が続いていた。

試作の回数は日に日に増えていった。筆者は琵琶湖に近いフィルムメーカまで名神高速道路をタクシーで飛ばしていき、良かれと思うフィルムをいただいてきて、大型の蒸着機で試作を繰り返した。
この蒸着機の規模は半端なものではなく、土木、建築の現場作業のようなものであったが、デモに間に合わせたいとの思いで休日も一人で蒸着機と格闘した。

結果的に、バランスのよい優れたテープが成人の日の蒸着の中にあった。新聞や、雑誌の記者を、一社ずつデモルームに招いてのデモは乗り切ることが出来た。早速、総がかりで成人の日の試作テープの解析を進めた。優れたバランスのテープと、そうで無いテープの差は、もともとの素材フィルムの表面の出来栄えと、蒸着時にペットフィルムの受ける熱影響の度合いの組み合わせで出来た独特の表面微細構造を持っていた。

この表面構造は東洋の神秘(これは、後に蒸着テープの技術を供与したヨーロッパの大化学メーカの技術者が表面を見て言った言葉である)と表現された、微細な山脈状構造と粒状の突起の組み合わさったもので、ポイントは突起がある密度で配置されていたことであった。
その突起はペットフィルムを製造する過程で高分子の長さが短くなってしまったオリゴマーと言われる物質が、磁性金属を蒸着する際の熱で、汗のように滲み出して出来た突起を芯にして出来上がったものであることがわかった。フィルムを冷却するための水冷ドラムの表面クリーニングを、一人で蒸着を繰り返すにつれて、手を抜いたことが、フィルムの温度上昇につながり、オリゴマーが出やすくなったものと推定された。


この幸運は、仮説を立てて、それを検証していく日常的な開発行動の中ではなくて、デモの期限があって、限られた時間の中で、事前評価もままならず、とにかく回数を稼ぐこと以外に方法が無かった状況でもたらされたもので、結果的にブレークスルーの大きなヒントにつながった事例である。
ヒントが得られれば、そこからはロジカルなアプローチを増やしていける。それでも、いくつかの困難を、フィルムメーカーと会社を越えたといえる、共同開発で乗り切った。最終的には、オリゴマーは出ないように(揺らぎを抑えて)して、ナノ粒子を分散した樹脂をフィルムの加工工程で塗布し、微細構造を制御する方法で、実用化につながったブレークスルーを生んだのである。


                                              篠原 紘一(2003.11.21)
                                                   
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