30. 俯瞰

4月の中旬に研究事務所はつくばで一番背の高いビルディングに移った。19階建ての14階という大都会では目立たない高さであるが、ここつくばではまったく違った眺めである。このような環境が経費削減の一環で得られることは予想もしていなかったことで、ひそかに喜んでいる。
ビルはつくばセンターにあるが、周辺には緑が多く残されているし、歩いて10分以内の範囲に田植えが終わった田もかなりの面積で残っている。人口は20万人を割っているが、歩いている人が少ない町だなあと、自転車を足とした日常生活の中で感じていたが、上から見ても歩いている人は本当に少なく、どこと無くアメリカの地方都市の雰囲気が感じられる車社会に映る。
なんといっても特徴的なのは、豊かな自然の中に20年ほど前に、研究学園都市として意図的に形作られた街の風情なのである。加えて、関東平野の東部に位置していることから、見事に地平が見えるのである。

日常地面に近いところで過ごす時間が多いと、いろいろなものが視野をさえぎるので、見える世界は、おのずと狭く、その中でイメージが固定されがちである。ところが、わずか14階からだとしてもつくばではまさに俯瞰の効用をしみじみ実感できるのである。
俯瞰の機会は、高いところに自分を置いても周辺との相対的な高さの差が十分で無いと得られたことにならない。せっかく得られた好機であるから、つくばの四季を楽しみながら、俯瞰の意義、重要性についても時折考えていこうと思う。


科学技術に関する記事に、「新たな地平を拓く」、「新しい地平が見えた」といった言葉が使われることがある。この言葉がまさにふさわしいと映った最近のトピックスは4月の、ヒトゲノム解読プロジェクトの完了宣言である。日、米、英など6カ国が力を合わせて、13年、3500億円余の資金を投じて、全遺伝情報を読みきった快挙なのである。この仕事を終えた関係者は、この膨大なデータを使って生命の神秘の科学的解明に入る。終わりが、次の始まりなのである。

アメリカでは卒業式をGraduate Ceremonyというより、Commencement(開始の意味)がよく使われているようだが、節目に対する認識の表れとして、こんなことでも日米の文化力に差があるような気がしてくる。
地平(horizon)は「さえぎる」から来ているという。地球が邪魔をしていて、地平の向こう側が見えない、わからないということである。
もちろん科学技術の挑戦に限らないが、あることがやっとわかったら、そのことで新た謎解きに立ち向かえる元気が沸いてくるということであろう。規模はゲノム解読ほどでなくても、研究者にとって、「わからなかったことがわかる」その結果「新たにわからないことが出てくる」その繰り返し、蓄積が、研究そのものであろう。
努力が実を結べば、これまで不可能と思われてきたことに可能性が開けたり、これまで定説であったことが覆ったりして、また新たな地平に研究者が立ち向かっていけるのである。


360度見渡すと、緑の中に国の研究機関が多く見える。多くの研究者が世界の先端でしのぎを削っている。研究に没頭するほど、下手をすると、いうところの重箱の隅に活動が偏っていくことも起こる。これを防ぐには俯瞰がいちばんの特効薬なのだと思う。
そうは言うものの、4月に新しいビルで俯瞰をアナロジー的に実感はしているが、曇ったり、もやがかかったり、雨が降ったりすることで、見える部分が変わる。俯瞰するといってもどこまで見えているかは慎重になる必要があるということだろう。

いずれにしても、これを一人、一人の研究者に求めなくてよいようにするのはチーム型の研究が一つの解である。バランスの取れた研究者を集めようとするよりも、突出した資質を持っているがバランスの取れて無い研究者の集団で、集団としての競争優位を目指すべきである。

チームとして、リラックスして俯瞰的な話題で議論することで、ロスをゼロには出来なくても、ロスを少なくした研究に専念できる環境が創り出せるのではなかろうか。多くの人が美しいと感じる全体と部分の調和が人類のすべての活動に求められているのを意識させられる、14階からの眺めである。


                                               篠原 紘一(2003.6.9)
                                                   
                          HOME   2003年コラム一覧   <<<>>>