3. 「産学官の連携は」


 国際競争力を高める上で、その重要性が声高に叫ばれているのはよくわかる。海の向こうのアメリカではどうなのか?
例えばハードデイスクはこのごろ1年たつと記録できるデータ量がほぼ2倍に増えるすさまじさで、この技術の進む速さは、半導体で有名な経験則であるムーアの法則の1年半で2倍を凌ぐものである。
この速度は産官学の連携がもたらしているわけではなくて、業界の研究開発力によるものといっても過言ではない。
 
アメリカの大学では一部のコンピューターシミュレーションにおいて優れた貢献が見られる程度で、安心は禁物だがアメリカに大きく差をつけられているわけでもないようである。連携の重要性の認識は高まっているし、積極的に大学に飛び込んでいっている経営者も増えているものの、産と官学の連携の捉え方はぴったり一致しているとも思えない。
例えば税金がどう使われてその結果何をもたらしているかについて国民の目が厳しくなっている(国民の目は環境に左右されていて、国に勢いが無いし、ビジョン展望もはっきりしないからだと感じる)から、透明性と説明責任が要るし、一生懸命であることを示さねばならないという風にまわっていないか。


国民にしてみればその状況は“話はわかったが、不満が残る”ということになるのではないか。
産官学が連携することが目的のようになってはこまるのであって、手段として生み出される成果が早く、大きなものであって欲しいと思うのが国民感情であろう。
産は官学の連携においてもそろばんが入る。これは習性である。国民感情に産が近いのはこれまで成功事例が少なかったからで、これからは成功事例を増やす、このことが喫緊の課題であって、成功のための必要条件に近づける大所高所の決断が望まれる。民間の研究所でインパクトのある事業成果を早く上げることを目指して、NDAを結び倒して多くの企業と連携した。その経験から(産官学の連携の直接経験ではないが本質は似ていると判断して)常識、価値観の異なる間の連携、利害が必ずしも一致しない間の連携は労多くしてとなってしまう危険性があったといえ、そのことは産官学の連携においても懸念されることではなかろうか。

駅伝にたとえてみると、スピードは一人で走っての世界記録を世界の10指に入るランナーがつなげば容易に超える。スピードはわかりやすいが問題は出口(ゴール)である。どの駅伝がゴールで大観衆が迎えてくれるか(成果が多くの人に受け入れられる)を当てないといけない。

したがって、ニーズを持ってる産、とシーズを持ってる官学が早くからすりあわせをやっていくことで産官学の連携の実があがると括ってしまうのは少し違っている気がする。デジタル技術とソフトウエア技術でカバーできる範囲が拡大する今の時代はニーズにシーズがぴったりと合って100点満点の商品が出来ても、90点のソリューションの方が、早く且つ安価に提供できれば大衆はそちらを支持する。要するにニーズとシーズの関係だけで捉えていたのでは、ニーズと、ソリューションとシーズの関係で捉えスピードと経済原則を重視した動きに勝てないのである。なぜならニーズを満たすソリューションはひとつでは無いからである。更に言えば必要なシーズは別物になることさえある。

そう考えると、ニーズをシーズ側に伝えてシーズの方向性や、目標に影響が出すぎるととんがった技術が生まれる研究をまるくしてしまう危険性が増すことも懸念される。

ソリューションは技術統合であるからいつも先端技術を持ち込んだものが支持されるとは限らない。果たして、出来るところからはじめる産官学の連携は本当に日本の将来にとって意味のあることなのだろうかと心配になる。大学の独立法人化やTLO、ベンチャー機構など良かれと思う仕掛けによっていま状況は動いている。まだ多くの企業も元気を取り戻すための活動が優先され視線はそうは遠くに注がれていない。

ナノテクノロジーも国家間の競争になっていることから、気がはやるのはわからないでもないが、創造は飛躍であり革新であって、そのみなもとは自由である。まだまだ現実にある制約を除く努力がいるのでは。


                                                篠原 紘一  
2002.6.28)

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