16. 松下幸之助の好奇心

 経営の神様として尊敬され、平成元年に94歳の生涯を閉じた後も多くの人に影響を与え続けている松下幸之助について学ぶ、本や、ビデオテープは数多くあるが、ここでは、私が開発現場でお目にかかった松下幸之助翁(以下幸之助とさせていただく)の姿を紹介したい。


お目にかかったのは1976年81歳のときが最初で、以降10年間で2回、計3回、時間にすれば2時間ほどである。最初にお迎えした現場は、本社(大阪府、門真市)から距離のある豊中市にある産業機器関係の製造事業場の一角、真空蒸着法による磁気テープの製作に関する研究開発現場であった。

真空にした容器の中で、透明なプラスティックフィルムが、電子ビームで金属を白く光るまで加熱して発生させた蒸気にさらされて、黒く光ったフィルムになって巻き取られる様子を説明した。

その間、2箇所ののぞき窓を交互にのぞき、しばらくして、「この中は真空やな。ということは、宇宙にテープ工場を作ったようなもんやな。いいものができそうやな。」「これは他でもやってるのか?やって無いなら是非やり遂げんならんな」「特許もどんどんださなあかんな」
この3つの短い(のどがあまりよくなく、この時すでに明瞭に聞き取れない部分があったのだが、近くにいた上司に後で確認しても確かにこのような言葉であった)言葉は、現在にタイムスリップさせたような話で、26年前だったことを思い起こして驚くことである。


今苦しんでいる日本の製造業で経営トップが繰り返し要請していることが凝縮されている。ここには真似した電器とか、二番手商法とか揶揄された経営のあり方とは別に、技術に対して本質的に求めていたのは、真似でもないし、二番手で良しということではなかったのである。技術を経営にどう生かすかとは分けて判断されていたのではないかと思う。

蒸着されたフィルムは金属の膜が縮むことで「クルクル巻き」の状態になる。それを手にとって、緊張しつつも目いっぱいPRする研究所長の説明を聞きながらフィルムを伸ばしては、離し、伸ばしては離すことを延々と繰り返しながら、「これは商品になる」と。これまでの研究手法と違った規模で実験しているといっても、所詮実験規模で、しかもプロジェクトがスタートして3ヶ月しかたっていないのにである。

この訪問は、副社長から豊中で面白い開発が進められてると聞かれていた幸之助が、東京からの帰りに伊丹空港から、本社に向かう途中に立ち寄られた、突然の現場訪問だったのである。ロールスロイスが横付けされ、緊張と興奮の1時間はあっという間に過ぎた。オーディオテープを最初に商品化したが、ビデオテープでは一度事業の立ち上げ段階でこけてしまうなど紆余曲折があったが、蒸着テープ工場は宇宙ではなく、門真市と、津山市に出来た。先頭を何とか走り続けることが出来、家庭用ディジタルビデオ(DVカメラ)のテープとして事業になった。特許においても専門家のいやがる特許をどんどん出した。

幸之助と交わした現場での約束は果たせたが、亡くなられてから7年の歳月がたってしまったことだけが、実力とはいえ残念なことである。

初回の衝撃的な現場訪問のあと、あの開発はどこまで進んでいるのかとの関心を持っていただき現場にお越しいただいたときは車椅子であった。こんな経営者がいるのかと、感激して、クリーンルームを破って量産用の蒸着機の現場まで車椅子のまま、案内する、無茶もした。
貴重な経験の一部をここに記したが、考え方、判断、行動の原点は年齢と関係ない、すさまじいばかりの好奇心だったのではないかと感じている。

ナノテクノロジーは科学的理解を深めて、それをこれからの時代に、地球規模で求められていくであろう、さまざまな用途に結び付けていく、広い範囲をカバーできる期待の技術である。好奇心を刺激するネタが山ほどある世界である。いま幸之助が健在であれば、嬉々として、ナノテクノロジーの開く世界の展望を聞き、科学者、技術者を元気付けたことであろう。


                                                   篠原 紘一(2002.11.1)

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