152.評価について(1)

 

人は様々な場面で、私的にも公的にも評価を受ける。自己評価と周囲の評価のギャップに悩むのが人生といってもよいだろう。

 

大学や国の研究機関も評価を受けるようになってきたが、一般に組織と構成員一人一人の評価の受け止め方はまちまちであり、組織として受けた評価を個々に落とし込みモチベーションを高めるのはそう簡単なことではない。

そもそも、日本に評価制度はなじまないとか、評価に関した様々な議論が繰り返されてきているが、身近なところで感じることは評価をブラックボックスにできる限りしないようにするのが大事だということである。

 

 ポスドクが急増しても、受け皿の増加は少なく、次のポストを求めて面接を受ける研究者が急増している。面接を受けても、結果だけの通知で済まされてしまうこともあるという。これでは、自分に何が不足しているか、どのように研讃を積めばよいかが見えてこない。就職活動でも同じであろう。

 

私事で恐縮であるが、娘が受けた試験の結果について会社から手紙が親あてに来たことがあった。決して売り手市場の時代でなかったが、こういう点は足らないが、こういった良い点を伸ばしていける、こんな仕事をしてもらいたい、そうすることで不足する点も向上し、成長が期待できるのでぜひ入社してほしいといった下りであり、感動もし、随分考えさせられたことを思い出す。

 

 JSTの戦略的創造研究推進事業のひとつである「ナノ科学を基盤とした革新的製造技術の創成」研究領域の3年目の採択が終わった。研究総括と11人の領域アドバイザーが書類を査読し、面接による評価を経て今年度は4件の課題を採択し、合計で16課題が採択されたことになる。評価結果をすべて応募した提案者に返すのであるが、いつも、評価者のメッセージが被評価者に十分伝わって、結果的に日本の基礎研究力がじわじわ高まっていくことにつながってほしいと願ってきた。そうはいっても、現実には提案が採択されたか、されなかったかが大きく影響を与え(すべてといってもよいかもしれないくらいに)ているのが実態かもしれない。しかい、受けた評価結果について受け止めにくい点があったにせよ評価結果に耳を傾けて次にいかす姿勢の研究者のほうが長い目で見て優れた成果を上げていくのだと思う。

 

ナノテクノロジーは基盤技術であるとの認識に立てば10人ほどの専門家でといった意見は必ず出される。しかしせまい意味での専門性の評価は学会でなされているわけで、どんな論文誌にどんな研究成果が公開され、多くの研究者に引用されているかはある時間間隔でみれば完璧でないにしても客観的な評価となっているとみてよいのではなかろうか。

 

 要は、戦略目標に沿って領域が設定され課題が公募されるわけであるから、それぞれの専門分野での独創性だけが評価の対象ではなく、多面的な要素が評価されるのである。実績のある研究者の提案が有利だといった説もあるが、実績があればある程期待も大きくなり、サプライズがないといった厳しい意見も出されるのが実態であり、言ってみればトータルでの相対比較が結果に反映されるといっていいのだと思う。評価結果がイエスかノーかだけで返されない機会はぜひいかしてほしいものである。イエスかノーかでは「おれの研究の価値がわからない連中が・・・・」で終わってしまい何ら生産的でないからである。

 


                                   篠原 紘一(2008.09.29

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