CRDSシンポジウム

11/7CRDSシンポジウム 「科学技術イノベーションにおける統合化」講演録

主催者挨拶
吉川弘之 CRDSセンター長

本日は、アゴラのキーノートセッションにご参集いただきまして、主催者として心から感謝申し上げます。今日のCRDSシンポジウムのテーマは、インテグレーション、「統合化」です。

統合というのは、難しい言葉で、普段よく使う言葉ですが、その中味は決して簡単ではありません。しかし反対の言葉を考えるとわかりやすいですね。例えば縦割りとか、それから派閥とか、それから内紛とか権力闘争と、こんなのはみんなバラバラになっているということなのです。それの逆の概念が統合であると考えてよい。こう考えると、統合というのは非常に幅広い概念を持っていて、色々な努力が必要だということになろうかと思います。特に現代の問題として、自然災害であるとか、人口増による国際関係の困難とか、人類全体に向かってものすごく大きな影がかかっているわけで、それを個別に解決する能力は多分今の人類にはない。しかし一方で人類の1人1人の知的能力をはじめ色々な意味の力が非常に大きくなってきているという時代であるが故に、それをお互いの紛争に使って消費してしまってはもったいない無駄であり、その難しい影を人類共通の立ち向かうべき問題ととらえてその解決を目指して各人の能力を使うために統合が必要である。このような非常に巨視的な目でとらえなければならない時代の流れがあり、我々はその流れの中にいるのだと思います。

こういった意味で、今、統合は不可欠な目標です。しかし、統合というのは、実際にやろうと思うと簡単でないことがわかります。組織の中で縦割りはすぐできてしまうし、派閥もすぐ起きる。我々人間の中に、ムラを作ったり群れを作ったりするような傾向が基本的に内在していると言ってよいでしょう。その効用もあるのですが、それが様々な場所で弊害を生みつつある現代において、それが一般的に認識されているにもかかわらず、それを越えていくのは非常に大変なことだと思います。今から100年前ですが、20世紀初めに、文学とか人文系の人々の間に大きな声が上がってきて「20世紀は統合の時代だ」と言われたのです。まさに今と同じような状況ですね。そして、それから何十年の間実際に様々な努力が払われました。例えば日本の文化と外国の文化をどういうふうに統合するか、わかりやすい例では、日本伝統の音楽と西洋音楽をどういうふうに融合するかに苦労した作曲家が出てきて、色々な難しい実験的なことをやりましたし、絵画もそういうことがありました。これは個人の頭の中での観念的な統合であったと言えます。

科学の方では、もっと現実的な観点から統合が意識されていました。科学者の間で世界的な議論があり、1931年にICSU(国際科学会議)ができた当時は、物理学とか化学とか、さまざまな分野で非常に急速な発展があり新しい法則が生まれてきた時代です。そういった時に、科学者は、ケミストはケミスト、物理学者は物理学者と専門化して分かれてしまう。そこでお互いに会話ができなくなる。というのは、専門ごとに使う便利な単位が互いに違うものになってしまう。そういうことがあって大変だというので、まず各分野で「国際物理学連合」とか「国際化学連合」などの学会unionを作り、それらが会員となって、大きなICSUと略称される「国際科学会議(International Council of Scientific Unions)」を作りました。そこで科学領域間の対話をするということで、その頃は領域の統合に強い意識があったのです。しかし、身近なところで見ると、特に工学においてはどんどん細分化が進んでしまって、私のおりました東京大学工学部は、あっという間に23の学科ができてしまって、大体みんな似たようなことやっているのです。しかしみんな違うことをやっていると思い込み、また主張し、「俺が、俺が」というふうになってしまいます。言葉を悪く言えば、小さな村を作って安住しようとした、私もその中の1人なわけですから、非常に反省しながら言っております。そういう状況が現実としてあるわけで、結局、「20世紀は統合の時代」ということが華々しく世紀の幕開けとして言われながら、実は20世紀においては成功しなかったのではないかと思います。20世紀は、特に戦争が起こるというようなことで、分裂が非常に大きくなったわけですから、そういうことが人類として起こったんだと思います。そういう人類問題は別として、我々の身近なところでも小さなそういうことが起こって、やはり派閥というものは消すことができない。色々な問題が起こって、その原因が縦割りだと理解され、しかもはっきりと言われながらもなかなか直らない。というより直さない。「縦割りというのは壁があるからだ。壁を壊そう」ということで、壁をどんどん叩くと、壁はどんどん厚くなる。これが縦割りというものなのです。ですから、縦割りを壊そうとしてはダメなのです。したがって、統合というのは境目を取り去る話ではないのです。それが今日の話題だと思います。

私自身、実は20世紀の幕開けの宣言なんかに影響を受けて、科学の世界でどうやって統合するかということを理論的に解く研究をしてきたのです。私は工学部にいましたから、電気工学と機械工学というのはどうすれば統合できるのかということを理論的にやろうとしました。機械の知識と電気の知識というのはそれなりにある種の構造を持っていますので、その構造を数学的に表現し、それを合体したような数学を作る、というようなことを研究していました。そういう研究仲間も世界にいたものですから、色々なところに行って発表をしていたのです。それが1970年代ですけど、ある時ドイツで私が提案をしたら、ある1人の年配のドイツ人が手を挙げて、こういう質問をしたのです。「あなたは神を冒涜するのか」。なんだか全然わからず、「私はただ単に数学をやっている」と答えましたが、「学問領域というのは神が与えたものである。それを人間がいじるのはけしからん。物理学と化学は本質的に違うのだ」ということを言うのです。「神ってなんだろう」ということになるわけで、質問者も答えられずに勝負なしなりました。いずれにしても非常に強固な領域とか、利益団体とか、そういったものが非常に確信を持って存在していたというのが事実であり、これはある意味で人間の本性みたいなところがあるので、それを変えるのは難しい。また難しいと言ってしまいましたが、「統合しよう」「はい、できる」という問題ではなく、非常に大きな努力が要るということは私の経験からも間違いなく言えます。

さて、その努力ということなのですが、今日発表していただける講師のテーマを見ると、まず「イノベーション」というキーワードがあり、これはいろいろな知識が集まらないとできません。それから「科学とビジネス」、これは一つの時間的経過の統合ですね。それから「産学連携」とか、「地域における統合」とか、様々な統合が議論されます。それらが20世紀の幕開けの時の統合と比べて何が違うかと言うと、それは現実の行動というものを通じて統合を実現する、私のような観念論とか数学でやるのもいいのですけど、それだけでは統合の本質は理解されず、異なる分野の人々の実際の協調的な行動が必要である。例えば学問的には分野の違う人が一緒に協力して新しい社会的な課題に立ち向かうということだと思います。恐らくその学問の統合も、そういうものを通じて得られる知識なしにはできないだろうと思います。「行動が知恵を生む」、これは現代の特徴なのです。昔は知恵者が知恵を出して、それを人々が使いました。今も大学が知恵を出して、それを社会が使ったと錯覚している人がいますけれど、行動の根拠を与える知恵はそのようにしてだけでは得られることはなく、知恵を使う社会と作る大学とが共同して作業をすることによってしか本当の知恵は生まれないのだと思います。そういうことで、統合というのは実は新しい意味を持っており、今日の幾つかのご講演は、そういう立場から、現実に統合という行動を見て、そういうものを通じて、実は本質的に人間の知識の統合というものが結果として起こってくる。こういう一つの努力をされている方々のご発表ということです。この新しい意味での統合については色々な考え方があるはずで、皆様もできれば色々と考えていただきたいと思います。それをディスカッションの時間でもご自由にご発言をいただきたいとお願いをして、開会の挨拶といたします。



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