2016年3月
(戦略プロポーザル)微生物叢(マイクロバイオーム)研究の統合的推進 ~生命、健康・医療の新展開~/CRDS-FY2015-SP-05
エグゼクティブサマリー

本戦略プロポーザルは、ヒトの上皮(口耳鼻腔、消化管、皮膚、呼吸器、生殖器など)に存在する微生物叢(細菌、真菌、ウイルスなどの集団)に着目し、わが国が世界トップレベルの強みを有する研究・技術群を以って、生命・疾患の理解を深化させ、新たなコンセプトに基づく健康・医療技術を世界に先駆けて創出するための諸方策を提言するものである。

<社会動向と健康・医療技術への期待>
急速に少子高齢化が進行するわが国では、医療・介護ニーズの増大、そして医療技術の高度化などによって医療費・介護費が年々高騰の一途を辿っている。未充足の医療ニーズは多く、また新薬開発の成功率の向上が製薬産業における大きな課題となっており、新たな創薬コンセプトへの期待が高まっている。費用対効果の高い治療技術(医薬品など)、十分なエビデンスに基づく予防技術(食事、運動など)、それらを最も効果の高い人々へ提供するための診断技術(健康状態の評価、疾患診断など)の確立などが、これからの健康・医療技術開発に求められる方向性であると考えられる。そのために推進すべきテーマは多岐にわたるが、わが国においてトップダウンで実施する意義が特に大きいテーマとして、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)における俯
瞰調査などを通じ、ヒトを宿主とする微生物叢の重要性が強く認識された。

<微生物叢と関連する研究動向>
微生物叢を対象とした研究は1960年代に国内外で活発に推進され、わが国の光岡知足博士は、難培養微生物の培養技術やその系統分類(善玉菌、悪玉菌など)において世界で大きく注目される業績を挙げた。しかし、当時の技術では微生物叢の全体像の解明は難しく、その後の研究の進展は緩やかなものとなった。そのような状況を大きく変えたのが、2005年の次世代シークエンサーの登場、それに伴うメタゲノム解析技術(微生物叢の構成割合や遺伝子情報を解析)の発展と普及である。2008年、欧米で微生物叢に関する大型プロジェクトが開始され、微生物叢研究の実施において必須な基盤情報の整備(微生物ゲノム配列情報、欧米人の健常者データなど)が進み、様々な疾患とヒト微生物叢の状態との相関関係が見い出された。2013年、健常人の糞便を患者に移植する便移植治療の有効性が実証され、腸内細菌叢に着目した治療法開発が現実味を帯びた。近年は、同治療法の有効性を担う微生物集団の同定も進められ、更には個々の機能性分子の同定に至る方向性も見受けられ、ヒト微生物叢を将来的な創薬シーズ源として期待する動きが産業界においても広がりつつある。

<わが国の技術的優位性>
これからは微生物叢と宿主(ヒト)の相関関係の解明から更に一歩踏み込んで、詳細なメカニズムの理解を進め、微生物叢の制御、或いは宿主(ヒト)に作用する機能性分子やその受容体などに着目した予防、治療技術の開発を加速させる段階にあると考えられる。そのために必要な技術、研究分野には、わが国が世界トップレベルの強みを有するものが多く含まれる。例えば、難培養微生物培養技術やノトバイオート技術(無菌化した動物に特定の微生物を移植する技術)などは、わが国に膨大なノウハウや熟練した技術が蓄積している。メタボローム解析技術(代謝産物を網羅的に解析する技術)は、わが国に優れた解析技術/システム(とくに脂質解析系)が存在する。小腸からのサンプリングは欧米では技術的な困難さにより実施されていないが、わが国には小腸内視鏡検査に熟練した臨床医が多く存在し、サンプリングが可能である。また、微生物叢の関連する生命現象や疾患発症メカニズムの理解において必須と考えられる免疫、イメージング、エピゲノムなどの生命科学研究は世界トップレベルにある。
<重要と考えられる研究開発課題>
わが国の強みを最大限に生かし、微生物叢-宿主相互作用の理解を深化し、健康・医療技術を世界に先駆けて創出するために必要と考えられる研究開発課題は次の通りである。

(1)【基盤技術】微生物叢の操作・培養・解析技術開発
難培養微生物の培養技術、微生物叢機能の in vivo 解析技術(ノトバイオートなど)、サンプリング技術(小腸内視鏡など)、メタゲノム/メタトランスクリプトーム解析技術、メタボローム解析技術
(2)【基盤情報】関連情報の収集・解析
日本人の健常者データの収集・解析、疫学研究
(3)【理解】生命・健康・疾患科学研究
生命科学/健康・疾患科学(研究分野:免疫、栄養、代謝、宿主ゲノム/エピゲノム、イメージングなど/研究対象:健康状態(栄養など)、精神・神経疾患、自己免疫疾患、生活習慣病、がん、感染症など)、データ科学(データベースの構築と統合解析)
(4)【制御】健康・医療技術の開発
診断技術(健康状態の評価、疾患診断)、治療技術(微生物カクテル、医薬品など)、予防技術(食事、運動など)

<推進方法>
先述の研究開発課題の推進による成果創出を最大化するためには、技術や情報の集約・拠点化、そして社会実装に向けた環境整備などの取り組みが求められる。例えば難培養微生物培養技術やノトバイオート技術、メタゲノム解析技術、メタボローム解析技術などは、集約・拠点化によって効果的・効率的な支援と技術・ノウハウの更なる高度化が期待される。疾患研究の比較対照群として必要な健常者データは、集中的に収集・解析することで、データの質が向上し、幅広い活用が期待される。微生物叢は極めて複雑な様相を呈しており、その全容解明にはデータ科学のアプローチ(データの統合解析、システムバイオロジーなど)の重要性は高く、関連する研究活動を通じて得られた膨大なデータ群について、統合的に解析可能な形式で蓄積するデータベース拠点が必要である。これら拠点は、既にノウハウ・技術・設備を有する組織/研究室を活用し整備することが望ましい。
これら全ての状況を把握し、わが国における微生物叢研究を戦略的に推進するヘッドオフィスの設立も期待される。ヘッドオフィスでは国内外の微生物叢研究の動向把握に加え、研究プロトコル統一(サンプリング、保存、前処理、解析)や個人情報保護への対応、レギュラトリーサイエンス(有効性と安全性の評価科学)の推進などの研究環境整備、有望な研究シーズに対する知財面の助言、企業(製薬、食品など)への橋渡しの加速などを推進する。

<時間軸>
まず、ヒト微生物叢研究に対する国の研究開発投資を早急に開始し、並行して、それら研究の推進にあたって必須な技術について、既存の組織/研究室を活用しつつ集約・拠点化に向けた整備を進める。日本人の健常者データについて、収集すべき規模や項目について議論を開始し、迅速に収集・解析体制を整備した上で集中的に推進し、健康・医療技術創出に向けた情報基盤とする。これら取り組みを通じて見い出された医療技術シーズ候補については、医療技術としての妥当性を十分に検証した上で臨床試験(治験)を実施し社会実装を進める。予防技術(食事、運動など)シーズについては、科学的エビデンスを十分に構築した上で、国内外のルールに則って製品化を進める。現時点で本分野の研究者数は限定的であるが、研究開発投資によって周辺分野の研究者の参入が期待される。ヒト微生物叢は様々な生命現象、疾患と関係するため、研究者層は今後急速に拡大すると考えられ、将来的には更なる大規模な研究開発投資が期待される。また、わが国の既存の研究の枠組み(がん、再生医療など)をつなぎ、大きなブレイクスルーを生み出していくことが期待される新たな枠組みとして「複雑系生命/健康/疾患科学」が期待され、ヒト微生物叢研究はその一翼を担う重要なテーマであると考えられる。

<波及効果>
本戦略プロポーザルの推進は、社会ニーズの充足、そして学術的に大きな意義をもつ。安全性、有効性、経済性の観点から、医療技術を人々へ提供する際の、対象者のサブグループ化が今後ますます進展すると考えられるが、微生物叢の差異に着目することでより精緻なサブグループ化が実現しうる。また、微生物叢の変化は疾患の発症、重症化に先立って起こると考えられ、発症予防、重症化予防技術の創出へとつながる。その結果、医療費・介護費の最適化にも貢献しうる。また、十分な治療法が存在しなかった病態について、ヒト微生物叢が突破口となる可能性も考えられ、製薬産業の活性化に貢献しうる。エビデンスに基づく食品の開発、および消費者への適切な情報発信などによって、食品産業の活性化も期待される。本戦略プロポーザルの推進を通じて構築される微生物叢の研究基盤は、ヒト以外の微生物叢(植物、家畜、ペット、土壌、大気、海洋、生活空間など)の研究においても活用可能であり、将来的には食料生産技術をはじめ様々な領域が微生物叢研究を通じて大きく進展するものと考えられる。

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