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野依良治の視点

(23)論文査読制度(ピアレビュー)の信頼性の揺らぎ

2018年2月20日

 インターネットの発展により、すべての人が技術的な障壁なく、迅速に発信受信、そして意見交換できる「開かれた広場」ができた。民主的と評価される反面、科学界においても規模拡張、大衆化を背景とした個人的権利行使の圧力が増し、専門的第三者による論文査読制度(ピアレビュー)に対する信頼性が揺らいでいる。伝統的な価値や質の維持と、制度的許可は無用とする「表現の自由」とが相克する。「社会の中の科学」「社会のための科学」の推進にむけて、いったい誰が学問の自由と発表内容の真正さに責任を負うのか。

 昨今のグローバルな競争的環境へ不穏な商業主義が介入する。研究者たちが発表論文をアカデミアに生きる通貨(pub-coin)と考えるならば、「科学市場」には様々な経済的、倫理的問題が起こることは当然である。「あるべき科学社会」の維持が極めて困難と感じているが、いかにすれば時代に適合する健全な秩序をつくれるだろうか。

査読制度は信頼できるか

 広範な研究成果を統一的な形態で集積、継承伝達するために査読制度が果たして来た役割は明白である。しかし、完全に公正で、有効かつ信頼性ある仕組みはあり得ない。旧来の査読制度は科学界における発見の先取権の認定、論文の質と媒体規模の維持のための手続きであって、特許権と同じく、必ずしも発見時期の後先、成果の真正さを厳密に客観保証するものではあり得ない。

 数多ある科学誌にはそれぞれの価値観があり、論文の採否は編集者に委ねられる。著者と匿名査読者の力関係や審査過程の不透明性(single blindやdouble blind制など)も課題であるが、果たして昨今、論文投稿者は審査側と健全な科学的議論を交わしているであろうか。加えて、査読における著しい時間的非効率性、人的資源不足、分野の保守化と偏向、さらに利益相反やいわれなき差別、偏見などの不都合な倫理的問題が頻発すれば、長く続く査読制度は崩壊に向かうだろう。

創造者たちへの無理解

 査読者は質の高い科学知識の集積に奉仕するために存在する。その誠実な助言が投稿論文の改善、科学誌の健全性維持に寄与してきたことが、査読制度継続の根拠である。しかし、科学の飛躍的進歩はしばしば非凡な研究者の発想によってもたらされ、見識ある査読者にとっても即座に理解できる論文ばかりとは限らない。かのマックス・プランクは「新しい科学の真実というものは、反対者を説き伏せ、光の輝きを見せることによって勝利するのではない。むしろ、彼らはやがて死んでいき、変わってそれに精通した新たな世代が成長するからである」と言っている。

 実際、将来のノーベル賞受賞の対象となる研究論文の多くが、科学社会の抵抗、科学誌編集者や査読者による却下の憂き目にあってきた(J. M. Campanario, 2009)。1960年代のJ. ポラニーのレーザーによる振動エネルギー研究、最近ではR. ファーチゴットのNOの生理活性、T. チェックのRNAの触媒作用、C. マリスのPCR法の発見等々にかかわる論文も、高水準の審査基準を誇るNature誌、Science誌はじめ有力誌から厳しい批判を受け却下されてきた。もちろん確固たる根拠に基づくこれらの主張は、いずれ何処かで公表、認知されたが、既成のパラダイムの罠にとらわれた編集責任者たちの胸中は如何であったであろうか。

独創的数学者の生き様

 筆者は全くの門外漢ながらも、Nature誌が2015年10月、望月新一京都大学数理解析研究所教授の「ABC予想」の証明を「数学における最大のミステリー」と大きく報じて以来、その行方に注目してきた。数学の超難問とされ、20年にわたる独自の理論に基づく500ページに及ぶ新形式の論文は難解を極めたという。2012年に自身のホームページに発表以来、認否に責任を感じた世界の数学界が国際会議などを開催するものの、衆知は無力、独創への理解者はごく僅かであった。しかし、昨年12月16日の朝日新聞によれば、京大数理研自らが発行するPRIMS誌が査読検証を続け、ようやく偉業と確定されたという。この間、5年の歳月が流れ、修正を経た最終論文は約600ページに上るが、通常の評価軸を超える異次元の研究とはこういうものか。

 なお、同教授は、23歳で米国プリンストン大学から博士号を受け、32歳で京大教授に登用されたが、数理研の慧眼には心から敬意を表したい。「研究時間が取れない」と嘆きながらも世相に抗えない多くの大学教員とは異なり、同氏の研究への傾注は格別である。自らの学問にとり意味のない会合、社交は極力避け、2005年には栄えある第一回の日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞の受賞者であったが、「研究以外に時間を割きたくない」との理由で授賞式は代理出席であった。かつて「ポアンカレ予想」を証明しながら、フィールズ賞を辞退したロシアの数学者ペレルマンを思い出すが、真に意義ある成果の創出は世事の一つである受賞を超越するとの信念であろう。

評価者の枯渇

 論文記述の客観的正確さにとどまらず、科学的な価値を相対化して見通して適切に判断するには、相当の見識が求められる。現代でも、格別の創造者が少なからず潜在しているはずであり、彼らの思い入れにこそ真摯に正対すべきである。現代の主流である多数決民主主義者にも責任を果たしてほしい。たとえ保守的知識体系の眼鏡をかけるとしても、図抜けた独創性をもつ、しかし、しばしば世慣れない若者を見逃すことがあってはならない。

 論文数は20年で倍増し、年間210万編を超え、掲載誌の総数は28,000に達するという。我々世代が是としてきた査読制度であるが、投稿論文の増加速度に対して科学界は対応が遅れ、評価が著しく適正さを欠いていると感じている。信頼できる評価者数には自ずと限りがある。ドイツの有力誌Angewandte Chemieの元編集長F. Diederich教授によれば、同誌は2012年に世界中の5千人の研究者に延べ28,800回の査読を依頼し、60%に相当する17,100回が受諾された。228人の査読者は、同誌だけで毎月1回以上査読したとのことである。筆者の経験に照らしても「要領のよい評価」はあり得ないが、論文査読は科学界のみならず、主には商業誌出版社への無料奉仕である。それにもかかわらず、投稿者に恨まれることはあっても、感謝されることはほとんどない。ちなみに、同教授自身はある年に論文査読を含めて実に422の評価書を提出したという。昨今、多数の査読依頼を受けて、時間をかけない無責任な「斜め読み」が多く、さらにはあってはならない周辺の若手研究者による代理査読さえあると聞く。有力者が忙殺される中で、いきおい判断は科学的視野の狭い、経験不足の研究者に任されることになり、報告の質はかなり低下している。研究者の生涯発表論文の語数制限なくして質の維持はあり得ないとする極論もある。学術界は、出版社のみならず行政や資金配分機関に対して、安易な評価委託による知性の甚だしい消耗を強く訴えるべきである。

査読前論文の活用が始まった

 この状況に呼応して、煩雑な査読を経ない自己責任の未公表論文(プレプリント)のオンライン公開が始まった。1960年代から出版社の抵抗、多くの研究者の反対意見もあり紆余曲折を経てきたが、1991年に物理学分野でarXivプラットフォームが創設された。生物学分野でも2013年コールド・スプリング・ハーバー研究所が主体となりbioRxivが始まり、チャン・ザッカーバーグ財団が巨額の財政援助をして盛んになりつつある。消極的であった化学分野も2017年にChemRxivを立ち上げた。そして、論文掲載にいたらずとも、自らの意思でオンライン投稿したこれらの内容は、人事考課や研究資金の配分審査などに際して勘案される方向にある。科学的評価は、のちほど論文を受け付けた科学誌により適正になされるべきとする。

 この方法は明らかに知識の伝達、循環を著しく加速する。オープンサイエンスに向けて、大勢の投稿者の中から無名の若者を見出す効果もある。発表内容の品質の信頼性、未発表(未確定)データの盗用可能性、同業者間の論文発表や研究費獲得の時間的競争の観点からの反対意見もあるが、これは現在の国際学会における発表と同様ではないか。これらの負の効果はいずれも、旧来の情報技術水準にもとづく学界における権利手続きや、個々の研究者の倫理の問題である。一般社会や行政は、科学の円滑な進展と一日も早い成果の社会還元を願っている。この方式の成否は、新たな環境下における指導的立場にある研究者たちの振る舞いにかかっている。

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