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野依良治の視点

(21)世界の科学出版界の実態

2017年12月7日

世界市場における輸出入収支

 わが国の学術的主体性の顕著な減衰とともに、それがもたらす経済的実態もまた深刻である。まず、たかが経済に無関係な科学論文誌と思うなかれ。Outsell’s Information Industry Database, 2014によると科学技術医学(STM)分野の世界の市場規模は252億ドルという。2,000誌以上を発行し10%強の最大シェアを誇るオランダのエルゼビア社の総収入は33億ドルである。最近、英国ネイチャー誌を併合したドイツのシュプリンガー社、化学分野でも有名なワイリー社、トムソン・ロイターズ(現クラリベイト・アナリティック社)が3%程度のシェアでこれに続く。日本発の研究論文の世界シェアは低迷しながらも世界5位で、6%程度を保つ。従って、本来2,000億円近くの国際誌事業があってしかるべきであるが、実態は200億円程度に過ぎないと言われる。年間官民合わせ18.9兆円の研究開発費、科学研究費補助金だけでも2,300億円を投入して得られる成果の80%以上が海外の論文誌へ垂れ流し状態で、一方的に外国出版社だけを利する現状は、看過できない。同じ割合の論文を呼び込み積極的に海外出版することなく、経済的均衡は得られないではないか。

論文誌費用が研究費を圧迫

 近年、英語圏の特定出版社による市場の寡占化と書籍費の高騰が、大学等の研究費を圧迫している。わが国の国公私大学の図書館資料全体では746億円、うち電子ジャーナルが295億円に伸長し、紙媒体の雑誌と図書の合計340億円に拮抗する。なお、電子書籍化技術自体が不都合であるわけではない。世界的な論文増加と物価上昇、そして購読者数の減少に伴い、論文誌の価格は年率7-8%上昇しており、電子ジャーナルの4-5%上昇が特に高いとはいえない。むしろ電子技術の進歩のおかげで、多数の文献の迅速な検索が可能になり、組織の規模による情報格差も縮小したことは評価すべきである。

 ここでの主たる問題は、通常の市場価格競争に曝されない学術誌の特殊性と、商業的出版社の寡占化(上位4社が約5割を占める)による価格管理である。わが国の大規模大学の出費は10億円近いとされるが、商業出版社は購読機関と個別にパッケージ購入の価格を交渉してきており、開示されることはない。最近ドイツでは150もの図書館、大学、研究機関が連合し、エルゼビア社にビジネスモデルの根本的な変更を迫っている。世界各国で価格交渉が難航し、自国の研究者の論文さえも読めない事態に至り、研究者たちによる論文投稿、編集協力ボイコットの騒ぎまで起こっている。わが国では状況のさらなる深刻さにもかかわらず、研究者の危機感は薄く、この由々しき事態の本質に気づいていない可能性がある。日本では、大学図書館コンソーシアム連合 JUSTICE がこの事態への対処について検討を進めており、彼らの電子情報価格の交渉力向上を期待している。

 なお一般に、科学論文誌が巷の書店で販売されることはない。もちろん、個人で出版社から冊子購読することもできるが、なぜかNature誌のわが国における年間講読料は、英国、米国、中国よりも相当に高い。

科学界は現状を国民に説明できるか

 かつて学術は、自らの精神の高揚のためにあり、その運営は価値観を同じくする共同体に委ねられていたが、現代の科学技術はより広い社会の中にある。昨今の科学界のさまざまな問題の原点の一つは、その自治能力の喪失にある。無防備にひたすら規模拡大に身をまかせるだけで、一向に質の維持、向上に取り組む気配が見られない。わが国に限らず、科学界にいつまで自己本位の唯我独尊が許されるだろうか。上記の論文誌価格問題についても、自制なき論文生産量増大を放置すれば、かならず体制破綻を招く。自らの成果の合理的発信のための財政的、人的要素の「内部化」が全く担保されていないからである。先に述べたごとく(コラム15)今や多くの研究者が大学や研究機関に属し、公的経費で研究、成果発表するのみならず、外部情報についても「必要な市販品は何でも買う」のであって、かつての論文誌購読費の自弁を免れていることが、科学界全体の倫理感覚を麻痺させてはいまいか。

 一方、日本国民の立場では、現状はこうみえる。公的資金投入により自国生産した製品を、「有料で」外国に依頼して品質管理、さらに見栄えよく商品化してもらい、再び高価格で国内に買い戻すことを余儀なくされている。たしかにこの商品規格化を経て日本製品の国外流通性は高まるが、決して製品内容が本質的に変わるわけではない。論文誌の商品価格は主として購読料によって支えられるが、発表論文一編あたりの費用は平均して約50万円という、有名ブランド誌では、おそらくその地位を保つための戦略経費がかさむためであろう、100万円超と言われる(対抗策のオープン・アクセスについては別稿で述べる)。国家はこの不可思議な外国の搾取の仕組み受容しつつ公的支援を続けるが、経常的負荷は過大であり、国民への経済的、非経済的な対価還元の説明はまったく不十分である。

市場形成の仕組みの不都合

 この商業的出版制度の成立は、まさに科学社会の特殊な構造に基づく。もとより研究成果は、大学、公的機関や企業が長期間にわたり、膨大な人件費、施設費、研究費等の大半を負担した結果生まれる。さらに、その論文公表に至るには多大な労力が必要である。論文執筆に加えて、その採否決定のための論文査読は、出版社が依頼する国を超えた専門研究者たちの無料奉仕による。言い換えれば、この多大の労力(1論文あたり7〜8時間を要するとされる)は、彼らの所属機関が支払う俸給に含まれる。書店に並ぶ一般書籍の執筆と異なり、めでたく選ばれた力作論文の著者や所属組織に原稿料が払われることは皆無である。その上、著作権は出版社にとどまる。だから、著者による自らの最終発表論文のインターネット上の無許可公開などは著作権侵害になる。経費負担のあり方が公正でないことは明らかであろう。

 Nature誌は1869年の創刊で、南方熊楠も生涯51本の論文を発表したという非学会誌の草分けであるが、20世紀後半には名編集長ジョン・マドックスが高い科学的視点に立って名声を築いた。現在の商業モデルの市場席巻の歴史は決して古くはなく、20世紀半ばに「科学市場の拡張性」に着目したメディア王ロバート・マクスウェルが英国パーガモン社において確立したとされる。まだ学会誌が主流の時代に、彼らは科学論文出版事業は公益に資すると言い張り続け、近年は電子化技術の特徴を縦横に駆使して発信受信を著しく効率化し、事業性をあげてきた。中でも経営戦略に長けた上記エルゼビア社(のちにパーガモン社も吸収)は成長を遂げ続け、利益率は実に40%に上り、グーグルやアマゾンさえも凌ぐ。米英に古く設立された化学会などを除き、多くの非効率な古典的学協会はほとんどこのビジネスモデルに太刀打ちできない状況にある。

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