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野依良治の視点

(16)研究の評価、研究者の評価(その1) 評価は主観である

2017年7月20日

評価には必ず目的がある

 評価の目的は人や物の価値、また社会や組織の活動の質を維持、向上することにある。その視点と方法は多様であり、評価主体者の意思の表現でもある。世の中には様々な褒賞制度があり、審査に当たっては重ねて理念が確認され、授賞理由にその思いが込められる。無目的の評価は人びとを疲弊させるだけで無用、有害でさえある。

 人びとはもともと、良き人生を歩むため、より良き社会をつくるために研究するのであって、他から高い評価を得るために受け身で働くのではない。健全な評価こそが有為の人を育て、学術、科学技術を発展させる。一口に評価と言っても、対象を論文、研究全体、あるいは研究者とすることで、視点は大いに異なる。組織活動の質は単なる個の総和や平均では表現できない。何れにしても、評価行為と手段は被評価者の行動規範を左右するので、評価者は手続きの便宜性や形式的な透明性ではなく、結論の正当性に責任を負わねばならない。オリンピックなどの運動競技における顕彰とは異なり、より慎重であるべきである。評価は社会倫理(法ではなく)の問題であり、その基本は職業制度のみならず、STEM(Science, Technology, Engineering and Mathematics)教育にまで及ぶ。

科学は客観、評価は主観

 科学は客観的である。しかし、人の営みである研究の評価は、様々な要素を総合勘案した主観であって、客観的ではあり得ない。軍事研究、企業研究、薬事医療研究などにおいては、それぞれに特定目標が設定され、しばしば組織としての達成度が目安となる。しかし、文学、哲学や芸術と同じく、とりわけ精神性の強い学術研究の評価は、本質的に異なる。研究は多彩な背景をもつ個々の人びとが、自律的に、多様な内在的動機、目標、実践方法をもって行う。外部の評価により自らの意思遂行が妨げられてはならず、アカデミアは自治能力をもって、さまざまな分野に固有の価値観の堅持につとめるべきである。総合的価値判断は、限定的な成果項目の単なる分析、計測とは異なり、どの要素に注目するかは、評価対象のみならず、評価者の価値観にも著しく依存することは免れない。

 科学の世界は広く、多彩な素晴らしい研究成果が、絶えることなく創出されている。世紀を超えて続くノーベル賞授賞は、スウェーデンの財団から委嘱された選考委員会の専門委員たちの主観に基づく選択の結果である。恣意的ではなく熟議を重ねるが、授賞対象は概ね西欧における普遍的価値観に基づくもので、委員たち自らが十分理解、納得できるものに限られる。文学賞、平和賞はその典型であるが、科学賞についても基本は同じで、内容だけでなく3名以内に限られる授賞者の選定もまた主観である。

 かつて、ジフテリアのワクチンを開発したフランスの微生物学者Gaston Ramon(1886-1963)は実に155件の推薦を受けながら、受賞に至らなかった。また、世界中の学生が授業で習う有機化学反応機構を提唱した英国人Christopher Ingold(1893-1970)も多数の推薦にもかかわらず、未受賞に終わった。当時は理論化学の論文が委員会で受け入れられなかったと言われている。日本の研究者は特異な文化的背景をもつ。高邁な東洋の思想に培われた、委員の価値観を超絶するようないくつかの大業績は対象外かもしれない。風潮におもねることはない。

 研究には知性と感性が求められるが、業績評価にはおそらくその人の個性も反映されるであろう。アカデミアの研究の多くは計画立案から、論文発表まで全て研究者に任されるため、主観的評価はつまるところ、自らに委ねられる。若い研究者には、人生に一編でいい、「これこそ自分である」の想いのこもった作品をつくるべく、気概をもって歩んで欲しい。ならば悔いは残らないであろう。

 私自身、長い化学研究の道を歩む中で多方面から顕彰していただき、有難く思うが、自省の回避もまた許されない。もちろんいくつかの研究については、自負があるし、他人が気づかぬ思い出の小品もある。しかし、振り返ってみて恥じ入るところは多い。美術、工芸、音楽の達人のように納得のいく作品だけを発表すべきであった。

創造性を評価する洞察力を

 人びとは多様な精神的な存在に出会いながら生きる。そして長く、人物を経験的かつ総合的に見極め、また実物に接しつつ研ぎ澄まされた五感で品定めをしてきた。概ね真っ当な評価であったであろう。いま批判精神なき数値に依存するだけで、果たして創造性を判断できると断言できるのか。もし評価が本当に必要ならば、科学界は本質に迫る、そして時代に合った洞察力を醸成すべきである。正統な権威は偶さかの権力とは異なるはずである。真っ当な人に評価されることを嫌い、自ら近辺の人を評価することを避ければ、先人達が築いた知の世界は必ず人間不在の無機的空洞と化すことになるだろう。

 なお「研究者評価」の対象項目は決して研究論文だけではない、広く研究社会への貢献があることをつけ加えておきたい。受賞歴、国内外の主要学会からの招待、国際学術誌の編集委員経験、国際共同活動や会合組織への貢献、また年配者については大学等からの記念講演、著名な冠レクチャーシップへの招待、さらには名誉学位や名誉教授称号の授与、国内外アカデミー会員への推挙などがあろう。総合的評価には研究実績だけでなく、多分に人柄や普段の振る舞いに対する評判が内包されている気がする。これもまた極めて主観的である。

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