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野依良治の視点

(13)わが国の科学社会は「集合知の時代」へ対応できるか

2017年5月15日

オープンサイエンス時代の到来

 交通手段の発達、情報通信技術の進展が時空間の制約を解き、新たな「知の共創」が可能になりつつある。かつては個人による思索、知識創造の営みであった科学研究も、いよいよオープンサイエンスの時代を迎えた。

 最も個人知が冴える数学界にさえ、フィールズ賞受賞者T.ガウアーズが2009年に創設したPolymath Projectの動きがある。証明困難な数学問題を多くの数学者のコミュニティで協働して解決策を導き出そうとする活動で、発想は「一人のダ・ビンチが世界を変えた。しかし、もし千人のダ・ビンチを集めたら?」であった。すでに大きな効果をもたらし、与えられた問題の答を出すだけではなく、この熟議で新たな問題をつくり出せることも明らかになった。さらに、インターネットの発展は、遺伝子研究、天文学、鳥類観測、環境モニタリング、古文書解読などデータ駆動型のさまざまな分野で、一般市民参加の「シチズン・サイエンス」の成功例をもたらした。もとより人数の多寡ではなく、目標に応じて一定の秩序が必要で、広い視野をもつ優れたリーダーの存在と多様な才能の参加が不可欠である。

 「科学は一つ」であるが、わが国では科学者たちの縄張り意識があまりに強い。「知の共創」の重要性の認識が欠けるため、「分野連携」「分野融合」が遅々として進まない。さらに「地球は一つ」の流れの中で、長年にわたる国際交流の不調は依然として続き、国際共同研究は30%以下にとどまり、他の先進国の平均値50-60%に全く及ばない。文科省科学技術・学術政策研究所がつくるサイエンスマップによれば、日本は全844領域の32%にしか参画しておらず、新領域の共同的開拓力が著しく不十分という。

 現代社会が求める複雑系の問題の解決は、いかなる天才、秀才といえども一人では難しい。誰が解決するかではなく、いかにすれば解決できるかを考えるべきで、近年の社会との関係の深まりを考えれば、文理融合は不可避である。わが国の問題はすでに文理選択を促す中等教育に発しているが、多様な優秀人材を擁する総合国立大学は、なぜに組織的協調を試みないのか。公的資源配分の方法や専門家たちの評価、学協会のあり方が邪魔をしてはいないか。もはや事態は待ったなしである。近くNature、Science誌も世界の趨勢を見据えて、この方向の姉妹誌を相当数創刊するが、この新たな潮流の中で、特徴ある文化をもつ日本からの注目される成果発表を期待している。

生活共同体(グループ)と社会的組織(チーム)

 日本は民族的均質性が高く、異質を排除する風土がある。研究体制においても「グループ」と「チーム」の違いの根本認識がない。英語由来のグループとは「群れ」のことである。蟻や蜂、魚、鳥、動物など同一種の生き物、あるいは血縁、地縁、同質の人たちの集団であって、その形成は環境に適応して生存するために有効であるとされる。一方、チームは明確な行動目的をもち、社会的に意図してつくられる組織である。スポーツでわかるように、明晰な指揮官のもとに勝利に必要な優れた専門技能をもつ選手を集めて戦う。たまたまそこに居住する人たちの力だけでは、到底勝ち目はない。

 かつての日本の大学は、平穏な群れ的風土を尊重した。その特色ある学術研究や後継者育成は、牧場経営にも例えられた。しかし、慣れ親しんだ牧場で安定した生涯を送り、群れを存続することは、乳牛たちが望むところかもしれないが、時を経て草原が劣化し、また有限の投入資源と出荷額が不均衡となれば、酪農自身が成り立たない。個人はもとより社会的に同質の集団の力はごく限定的であり、喫緊の重要課題が山積する現代は、牧畜式体制だけでは成り行かない。現代の研究体制には、静的な「構造秩序」から動的な「機能秩序」への転換が強く求められる。対象が科学であれ、技術であれ、より広い社会であれ、多くの課題の解決は均質ではない、異能チームの編成による総合機能力の発揮なくしてあり得ない。

 日本の新分野開拓力を妨げているのは大学組織の慣習である。継続性の偏重、新陳代謝の欠如が、重要課題研究の本格着手に10年の遅れをとらせている。思い切って新たな潮流に生きる若者の育成を促進すべきである。まず、すべての教員の独立性の保証であり、筆者が繰り返し2007年の改正学校教育法の遵守を求めるのはそのためである。大学教員たちの「独立」は決して「孤立」を意味せず、むしろ自律的な研究ネットワーク形成の前提である。諸外国で共同作業が盛んなのは、個人の独立に根ざしており、わが国のような同学科内での類似価値観者による共同研究は極めてまれである。

最適化チームが価値を創る

 大学とは異なり、公的機関や企業の科学技術研究の多くは、明確な戦略目標をもつ。これらはスピード感あるプロジェクト方式で行われるが、旧来の自前主義、全日本(All Japan)方式への執着は、大きく競争力を損なう。価値の共創にむけたチーム形成に不可欠なものは、見識あるリーダーの存在、国内外の頭脳循環の促進である。わが国のラグビー、サッカーの大学、高校選手権大会は素晴らしいが、ワールド・カップ戦は日本人ヘッド・コーチ、選手だけでは戦えないのと同様である。

 昨今、世界は移民問題に揺れるが、優秀なグローバル人材獲得の絶好機である。外国籍の高度人材は、決して平凡な技能提供者ではなく、名誉と信頼をもって処遇されるべきであり、米国、英国、スイス、オランダ、シンガポールなどの科学界の活力の源はここにある。博士研究員に圧倒的に外国人が多いことは当然であるが、まず指導者の選定が最重要である。ドイツのマックス・プランク協会も、研究所長(Director)は四人に一人は外国人である。わが国では内閣府傘下の沖縄科学技術大学院大学(OIST)が先行するが(現学長は実績あるペーター・グルース前マックス・プランク協会会長)、文部行政下にある一般の大学の動きは何故か全く鈍い。

フリーランス研究社会は訪れるか

 いかにすれば目標達成のための最適人材を選抜、採用できるか。米国シリコンバレーのベンチャー企業が一歩先んじるが、「自らが持たざるが故に」野心的目的に合わせて、いずこからでも、いかなる人にでも好条件を提示して獲得できる。今後は、あらゆる研究組織で偶然の機会への依存ではなく、広く「ヒューマン・クラウド」を活用するといわれる。

 情報通信技術の進展によるが、具体的な挑戦的課題研究の中核が、現在の(好ましいとされる)定年制機関所属者、正社員たちから、優れた専門的職能をもつフリーランスに移る可能性がある。彼ら、彼女らは多様な国籍や背景をもち、研究機関への所属意識は薄く、むしろ自らの専門能力を誇りに生きる。課せられた目的の達成意識は高く、プロジェクトは才気あふれるリーダーのもとで迅速に進む。産官学の壁は確実に低くなり、国際連携も密になる。研究者、技術者の複数機関、組織への関与、「副業」ならぬ「複業」も増えることになる。

 しかし、生産効率性の重視は、必ず労働環境に厳しい競争性を引き起こす。社会の健全性を維持すべく、個人能力の格差拡大に対するセーフティネットの用意が必要となる。人工知能を含む技術革新が、真摯に働く、しかし旧来型の教育を受けた機関所属研究者や学位取得者たち、さらに機能性を欠く大学、研究機関自体を「負の社会的存在」におとしめることがあってはならない。たゆまぬ再教育が、環境順応力を高める。

 このハイブリッド型の知識基盤社会に、伝統的大学は知の府であり続けられるか。日本の命運を握る若い世代が憧れ、納得する多様な教育研究の場を構築する必要がある。


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