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野依良治の視点

(5) 大学は「徒弟制度」からの脱却を

2016年12月5日

日本の科学研究活動は劣勢にある

 今世紀初頭に、日本の科学研究活動が米国、欧州とともに世界の三極の一つに位置していたことは明確である。近年のノーベル科学賞受賞状況は、往時の活動の反映である。今日でもわが国の多くの研究者が、世界を先導する素晴らしい研究成果を出し続けており、さらに若い世代の研究の斬新さにも感銘を受けることは少なくない。

 一方で、わが国の大学ランキング、理工系研究論文指標は全般的に著しい低迷を続ける。この10年間に、Times Higher Education誌における上位200位以内の大学は10校あまりから2校に減った。アジア圏においても旗色は芳しくない。研究論文の被引用数についても、トップ10%論文は4位から今や10位に低下し、イタリア、カナダ、オーストラリア、スペインの後塵を拝する。さらに1%論文では12位に甘んじる。中国は米国に次ぐ2位で、もしこれを論文の質と捉えるならば、質量ともに劣後することになった。残念ながら、この低落傾向は分野を問わず全面的かつ経常的である。これらの数値と研究力の関係には疑問が残るものの(後のコラムに詳細を譲る)、より総体的な見地からも、わが国の相対的地位の低下は間違いない。

日本の教育研究体制は世界標準ではない

 いったい、この劣勢の根本原因はなにか。もとより公的財政支出の不足が一因であるが、私はむしろ、わが国の大学の世界標準でない異形の教育研究体制によるところが大きいと考える。確かに日本の制度に多々良いところはある。しかし「The World Is Flat (トーマス・フリードマン)」の時代に、世界の共通の体制に背を向けた昔ながらの特殊性だけでは、国際競争力をとうてい保ち得ない。旧態依然の文部科学行政の優柔不断と大学内の理不尽な慣習を排し、抜本的改革を断行する以外に再生の道はない。

 若い世代が明日を創る。彼らに十分な機会を与えることが最も大切である。この観点から私が最も強調したい不都合は、2007年の学校教育法改正の不履行である。国立大学の教授、准教授、助教は全て独立裁量権を得て、教育研究を行う権利と義務をもつことになった。旧来の教授、そしてその業務を助ける助教授、助手からなる垂直統合型の講座制からの転換であるが、その後10年経つ今も、実態としてこの法律がほとんど守られていない。しばしば教授たちからは「うちの准教授には自由に研究させているよ」と聞くが、「うちの」と「させている」は余計で、自由独立はすでに法的に保証済みである。

 次世代が未来を設計する。囲い込まれた若手研究者が、日々の受動的業務に追われ、日進月歩の科学全体を俯瞰する習慣、あるいは科学技術政策に触れる機会が乏しいのではないかと懸念している。

若手研究者が活躍できる環境とは

 「昔からこうだった」は通らない。私も50年前には大学の助手であった。当時の任務は、講座担当教授の職務を助けることと法的に定められ、講義をすることはなく、学部学生の実験を指導し、先生の分野の研究とともに大学院学生の相談に乗ることが仕事であった。従って、英文の履歴書には職名をInstructorと記してきた。現在でも分野により助手の職名は残るが、理工系の助教は国外にはAssistant Professorと名乗るようなので、独立した立派な教育研究者である。

 もとより個人が孤立しては意味がなく、高い目標を定めた共同研究の推進が必要である。そのためにこそ、大学所属の各人は職位を問わず、責任研究者(Principle Investigator, PI)として自立し、自らの発想と意思で柔軟に「チーム」を組織しなければならない。PIは定義上、自らの能力で研究費を用意し、研究協力者を集めることは当然である。研究費を取得しない教員は、学内外のPIの協力者として研究するか、教育に専心することになる。これもまた自由である。

 一方で、大学院生は教授の無給の所有物ではなく、すべてのPIの有給研究協力者たり得るはずである。旧来の、予め固定化した徒弟制の「グループ」が、時代の変化に迅速に対応できないことは明白である。そして、若い研究者たちの自律的な学際、国際、産官学共同活動が最大の成果をもたらすことも、すでに証明済みである。なお、大学機関に所属せず、研究費による契約雇用の博士研究員については、その自由な発想が尊重されることは当然ながら、制度上は課題達成のために当該PIの指揮下にある。

若手研究者の創造を促す支援体制を

 日本と異なり諸外国の大学においては、同じ大学、同じ専門学科内の徒弟的共同研究は極めて少ない。なお、これからの変化を牽引する現在25-35歳のミレニアル世代の若者たちは、特に価値創造に適した対等型、自律型、協同型の組織を好むとされている。決して、彼らの自主性を阻むことがあってはならない。

 大学院研究科のそれぞれの専攻は、一定の理念を共有しながら教育研究にあたるはずである。しかし、封建的旧制度の講座、研究室主宰者が若手教員の自由を束縛すれば、当然独立PIの総数を限定する結果となる。当該研究グループは一定の規模を維持するものの、当然専攻全体の教育研究の幅を著しく狭め、また生産性も減少することになる。昨今わが国では、若手の挑戦機会が限られるため、他国に比べ新領域開拓が極めて低調である。常に先端科学、技術の開拓に出遅れるのはこの理由による。例えば、急速に発展する人工知能(AI)関連の論文のシェアもわずか2%(他分野並に7%を期待)で、米国の57%、欧州の18%に大きく差をつけられている。

 若者特有の柔軟な発想、そして他との連携こそが創造を生むことは間違いない。従って、若手、外国人が独立して十分に活躍できるように研究体制を抜本改善せねばならない。加えて、大学はいずれの職階の研究者も、9割以上の時間を教育研究に傾注すべく、十分な支援体制を用意すべきである。現在「忙しすぎる」教員があまりに多い。

 なお付言すると、自律的研究がすべてではないことは自明である。ある種の国家的戦略研究については、目標管理型に必要規模の強力な組織を編成することにより、是が非でも一定期間内に実現しなければならない。しかし、これは大学には馴染まず、国立研究開発法人の役割である。


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