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野依良治の視点

(4) 理系大学院生の生活権を「超ブラック企業」から守ろう

2016年11月18日

理系大学院生の給与とは

 大学院は単なる教育の府にとどまらず、研究実践の場である。科学研究は、みずみずしい感性、若い情熱とともに専門的技術を提供する大学院学生の貢献無くしては成り立たない。昨今、大学の自然科学の実験系研究は、教授などの責任研究者(Principal Investigator, PI)が計画を立案し、数名の博士研究員(Postdoctoral Fellow)および大学院学生(Research Assistant(RA)Fellow)が分担して実験を行い、結果を取りまとめて分析、総合評価しつつ、論文として発表する。ここで実験担当者はしばしば、重要事実の第一発見者ともなる。

 論文誌によっては、各人の役割分担を明記するよう求められる。この体制は世界的に定着しており、通常、PIは大学院生RAに対して労働対価(旧来の学術には馴染まないが、一般社会通念として理解願いたい)として研究費から生活費相当の給与(日本なら年額二百数十万円)を支払う。なお、研究には参加せず、学科の学生実験指導等の補助にあたる大学院生は、Teaching Assistant (TA) Fellowとしての給与を受ける。大学院生は同時に、被教育者としての立場にあるが、たとえ授業料が有償であっても、給付制奨学金を受けて相殺されることが多い。従って、諸外国では国籍を問わず、入学試験に合格し資格さえ得れば、経済支援を受けて学位取得に向けた勉学に打ちこむことができる。国公私立の大学体制の如何を問わず、これがほとんどの国の標準モデルである。

日本の大学院の現状はブラック企業?

 これに対し、世界第3位の経済大国日本は科学技術立国をうたうにもかかわらず、理系大学院生にとって最悪の部類に属すことは間違いない。RAないしTAとして適正額の給与を受ける者はごく限られ、大多数の大学院生は世界に例をみない貧しい環境下にある。教授の学位授与権を背景とした低賃金の徒弟制度は、「ブラック企業」にも過ぎる。外国人には理解不能なこの不公正は、労働法違反を問われても仕方ない。実際に研究はPIと大学院生の共同作業であるため、もしPIの研究費が途中で途切れれば、大学院生も研究を中断せざるをえない。カナダに実例があるが、この状況を打開するため、PIは辛くとも自らの俸給を割いて、若き研究協力者たちの献身に報いることが求められる。直接研究費と人件費を求めての資金獲得競争は何処も熾烈であるが、大学は優秀なPI 、RAの確保のためにも適切な救済措置を講ずるべきである。外国の実状を経験、つぶさに見聞してきたはずのわが国の多くの大学人、行政官は、この大学院の惨状になぜ沈黙を守るのか。

日本では博士課程大学院生が減少傾向

 さらに、わが国の国立大学大学院生は、授業料として年間54万円程度を納めるが、給付制奨学金は不十分、家計を強く圧迫する。貴重な時間をアルバイトに当てざるをえない。これでは最優秀な若者の進路として、大学院は全く魅力を欠く。事実、わが国の全大学院生数は、2011年をピークに減少に転じている。 人口100万人当たりの学位取得者数は、かねてから独英米の40〜50%で少なく、博士号取得者数は主要国で唯一日本だけが減少傾向にある。この背景には、大学院生を十分支援できていない日本のシステムの問題が関係しているに違いない。

 現状は文部行政の長年にわたる不作為の積み重ねであり、昨今の理工系の不振の大きな一因であると考える。自然科学系大学院生15万人(博士課程5万人、修士課程10万人)のうち、相当数が研究(RA)と教育(TA)に携わる。仮に、一人当たり年間240万円を措置すれば、3,600億円にも上る(授業料を相殺するための給付制奨学金も加えると約800億円以上が必要となる)。現在の日本学術振興会の科学研究費の総額2,300億円と比べるがよい。もとより国費研究がすべてではない。大学院はそれぞれの個性を生かした経営方針に基づき、活動を社会との関わりにおいて多様化すべきであり、そのために資金源の多元化、資金調達能力の強化も必然である。

 一方で、大学院生の質は、給与の支払いに見合うだけのものがあろうか。今の水準ではおそらく不十分で、国内外の頭脳循環を含めて、有為の人材獲得に格段の努力をなすべきである。

国民理解のもとに抜本的改善を

 大学院生に対する経済支援には、国民の現状理解が不可欠である。その上で援助は、RAやTAとして研究教育に関わる「労働対価(fellowship)」と、自らの勉学に関わる「奨学金(scholarship)」の二本立てであるべきであろう。後者は具体的には授業料の大幅減免である。経済界にも共同研究のみならず、教育面でも是非とも応援をお願いしたい。

 国家財政とともに家計が逼迫する状況の中で、ようやく大学生の給付制奨学金について活発な議論が始まったが、さらに選ばれた大学院生への配慮は甚だ乏しい。大学院教育は「外部効果」が薄弱とされてきたが、国際的にしのぎを削る知識資本社会の現代に、それを理由に明日を担う宝物をこのまま放置するのはあまりに時代錯誤である。優れた大学院生育成の主な受益者は、彼ら自身と言うよりは、むしろ社会全体である。小幅な現状改善ではなく、もはや社会の持続性維持のための投資として抜本的な局面打開が必要である。


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