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野依良治の視点

(1)国立大学は「国有大学」ではない

2016年9月6日

 今後とも大学は「文化的存在」ではあり続けるであろう。しかし、今日では加えて「文明の牽引者」であることが求められる。そして残念ながら、日本国民の教育研究に対する信頼性は万全とは言い難い。

 わが国は1,000兆円を超える公的債務を抱え、きわめて厳しい財政状況にある。にもかかわらず、巨額の公的資金が高等教育、科学技術社会へ投入されるのは、いまだ大学、公的研究機関に対し期待をつなぐ証拠ではある。今年度の一般会計歳入の実に35%が国債に依存するが、国立大学運営費交付金、科学研究費ともに、前年度水準を維持した。合わせて第5期科学技術基本計画発足に際し、従前を上回る26兆円の政府研究開発投資の目標を設定した。しかし、消費増税先延ばしで、来年以降財源をどこに求めるのか。加えて、英国の身勝手なEU離脱も、わが国を含めて世界経済に大きな影響を及ぼすであろう。国内外の諸事情を勘案すれば、過大な国費依存からの脱却はもはや不可避と思えてならない。

 もともと憲法23条が規定するアカデミアは、二つの「じりつ」自立と自律を旨としており、国家の介入は最小限にとどめるべきである。自治的存在であるアカデミアは社会のためにあるが、社会と国家は同義ではない。旧態依然たる国有、国営的な依存体制ではなく、変化する時代に適応しながら、自らの知恵、能力で気概をもって生きる人材を輩出する研究教育システムを編み出さなければならない。世界水準の教育を行い、卓越した研究成果を生み、さらに「Society5.0」の標語のもと超スマート社会の形成に向けて貢献して欲しい。

 国立大学法人の3類型化注1 と国立研究開発法人制度発足による制度改革は、中央集権から分権、あるべき分散への移行を促す。とくに第1類の小規模国立大学が外に目を向け、柔軟かつ大胆な連携により、独自に輝く存在たり得ることを期待している。果たして国力の源泉たる人材養成と研究成果の創出の機会となるか。さもなければ、公的教育研究制度としての持続可能性は予断を許さない。

 国立大学、国立研究開発法人の「国立」の呼び名は、国家や国民の誇りを意味する格別に賦与された名称である。国力の源泉であり、その価値は広く公共社会から認識されるものであるべきであり、国益のみならず、人類益に向けた役割を自ら実行する機関である。英国では「国立(national)」の代わりに「王立(royal)」と呼ぶが、決して王室や国家が財源を措置するものではない。つまり「国立大学」は象徴的名称であって、国が全面的に責任を負い管理運営する「国有大学」を意味するものではない。昔「日本国有鉄道(国鉄)」があり、創立当初は国家の建設発展に大きく寄与した。しかし、時を経てその運命は惨めであった。わが国が世界に誇る新幹線開発を始め、技術的には高水準を保ったものの、疲労した経営体制は、変化する時代に対応できなかった。あらゆる既得権者の保護は、必ず負債を残す。

 時代は変わった。現代のあるべき教育研究を阻むものは何か。もはや一国では生きられず、国内外のあらゆる資源の活用が必要である。しかし、なぜか行政は国営の慣習にこだわり、外的資源の獲得、利用に消極的である。ここに独立した法人格をもつ国立大学に、変わらぬ行政とのもたれ合い、国家依存症がまん延してはいまいか。心して、国鉄の轍を踏むことは回避したい。


 注1)文部科学省高等教育局に設置された「第3期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の在り方に関する検討会」が公表した「審議まとめ」において、全国立大学を3つの重点支援の枠組み(重点支援@は主として地域に貢献する取組等を中核とする国立大学、重点支援Aは主として世界ないし全国的な教育研究を推進する取組等を中核とする国立大学、重点支援Bは主として全学的に世界で卓越した教育研究、社会実装を推進する取組等を中核とする国立大学)のいずれかに基づいて予算配分を行う考え方が提示された(2015年6月)。これを踏まえ、同年8月には各国立大学がそれぞれ自らに適用される重点支援の枠組みを選択し、実質的に国立大学のミッションが3類型化されることとなった。


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