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概要

JST20周年記念誌JapanWay0203

第2部│歴史編第2章グローバルな研究活動を促進する1980年代の日本は欧米との間で激しい貿易摩擦を引き起こしていた。特にわが国の半導体産業が躍進したことを背景に、「官」主導の産業政策への批判が高まり、「基礎研究ただ乗り論」の批判、シンメトリカルアクセスに対する要求が噴出した。そこで、科学技術分野で国際研究交流を促進し、諸外国と協力して世界の科学技術発展に貢献すべきであるという機運が高まり、1989(平成元)年10月、新技術事業団(JRDC)の「国際研究交流促進事業」がスタートした。この事業の「国際共同研究事業(ICORP)」「STAフェローシップ制度」「研究協力者海外派遣事業」「研究交流支援業務(外国人宿舎の運営等)」がその後のJSTの交流事業の流れを築いていった。■2カ国の研究者が一堂に会して活動したICORP国際共同研究事業(ICORP)は、相手国の研究者が所属する機関を支える「研究支援機関」とJRDCが共同研究合意書を取り交わし、その傘下で両国の研究チームが一つのプロジェクトを構成し活動するという形態が、従来の国際共同プロジェクトとは異なっていた。具体的なプロジェクト運用は、「創造科学技術推進事業(ERATO)」のスタイルを応用し、双方の研究機関から切り離したオフサイト方式で研究実施場所を構築し、研究者が一堂に会して研究を推進した。また、JRDCがそのための事務所を置き、事務参事と事務員が常駐して、研究推進事業を直接執行した。1996(平成8)年、国の政策としてアジアを重視すべきとの機運が高まり、科学技術庁(当時)の指導により、それまでは欧米中心であったICORPに「アジア太平洋型国際共同研究」を加えることになり、従来型のICORPを「先進国型」と称することになった。アジア型ICORPは、推進体制としては先進国型ICORPと同様であったが、「研究対象の地域に出向いて実施する」ことを理念としていたため、日本側のプロジェクトも、事務所を含めて現地に設置することとした。当時の東南アジア各国はODA慣れしており、相手国は資金の提供を受けることを期待していたため、研究契約の段階で海外側も応分の負担を担うというイコール・パートナーシップの理念が全く理解されず、契約締結に非常に時間がかかるなど、先進国型とは違った苦労があった。その後、第二次科学技術基本計画や総合科学技術会議の推進戦略など新しい時代の要請を踏まえ、国の戦略目標の達成に向けた基礎研究の担い手として、ICORPとERATO、CRESTおよびさきがけを統合し日仏共同研究の合同シンポジウムのメンバー68