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概要

JST20周年記念誌JapanWay0203

第1部│展望編には、JSTの役割は非常に大きいものがある。長年、科学技術文献情報事業を行ってきたので、経験もあり、スタッフもそろっている。オープンアクセスでどのような基盤がつくれるかが、これからのJST情報事業の大きな課題になってくる。それには、日本の研究者コミュニティがどういう判断をするかをしっかり確認することが大事な作業になる。議論はまだしつくされているとは言えない。■地域創生への貢献日本は明治維新の後、アジアでは唯一、列強に支配されずに近代化を成し遂げた。その理由の一つが、幕藩体制にあったといえる。自立的なエコシステムが成り立っている社会であったし、環境保全もそれなりにあった。人間の行き来が制限されたが故に、逆に各地の独創的な文化や技術の発展があり、それぞれの地域が個性を持って発展していたのである。開国した後、鍛冶屋が鉄工所になり、鉄工所が製鉄所になっていくといった産業の活性化が極めてスピーディー、スムーズに動いていったのは、各地に優秀な技術者、職人がいたからである。識字率が示しているように、世界でもトップレベルの知識水準を有する国民だったことと、多様な文化にそれぞれの地域の人たちが誇りを持っていたことも大きな理由になっていたと考えられる。高度成長期には、明治維新以降つくり上げてきた新しいシステムが特に効率的に働いていた。繊維業から始まって、最先端の製品を早く安く大量に作る。こうしたシステムのために、新卒一斉採用や、終身雇用がうまく働いてきた。ところが、今では、これが実は日本の弱点になってきているのである。理由の一つは、少子高齢化でこのシステムそのものが維持できなくなっている。もう一つは、単一の製品でイノベーションは起こしにくくなり、これまでのような縦型の系列的開発研究では新しい価値を生み出しにくくなっているからである。高度成長期にやってきたことは標準化であり、高度化で、安定して欠陥のない単一製品をいかに大量に作るかが重要であった。しかし、今は全く違う領域の情報や技術をうまく融合して、自分たちが作ったことがないようなものを作らなければ、新しい価値が創造できなくなっているのである。米国は、オバマ大統領時代になってから、米本土に工場を呼び戻そうと盛んに提唱している。ところが、現場はなかなか動かない。工場を支える中堅技術者がいないからである。米国の工学部卒で、工業分野に就職する人は10%くらいだという。IT、ビッグデータ、人工知能といったものも、米国と同じような考え方で進めたらどうなるかを考えなければならない。情報だけはあふれ、飛び交うが、物はさっぱり作れない。そんな社会になってくる可能性が高いと考える必要がある。われわれの伝統である「ものづくり」を忘れては、やはり日本独自の力は発揮できない。「三遠南信」という言葉がある。地図には載っていないが、「三」は東三河、「遠」は遠州、「南信」は南信州を意味している。天竜川沿いの地域で、一つの文化圏を指す。「遠」は静岡県西部に当たり、ここは昔から発明家をたくさん生み出している。ホンダ創業者の本田宗一郎、トヨタグループの創設者である豊田佐吉もこの地域の生まれである。ヤマハもここが本拠であり、最近ではノーベル物理学賞受賞の天野浩氏もここの出身である。これらの実例は、地域文化の特性と力を如実に示すものといえる。重要なことは、コミュニティの中でも地域によって異なる特徴、つまり多様性を維持しつつ、コミュニティの一体感を持続させることである。それから、自分たちの伝統を再確認していく作業があって、その中で継承されていく技術があるという、地域の持つ強みである。その最先端といえるのが、私の郷里である伊勢で20年ごとに繰り返されている伊勢神宮の遷宮である。200億円ほど掛かるが、全部寄付である。地域全体がその20年周期で動いているのである。技術の伝承もある。伊勢神宮の橋は、雨が降っても水が漏れないように板がぴたっと合っている。五十鈴川の下流にあった造船所の船大工の技術が伝承されているからである。2015(平成27)年9月、「国連持続可能な開発サミット」で、2030年までに達成すべき持続可能な開発目標(Sustainable DevelopmentGoals:SDGs)が採択された。17の項目が目標として挙げられている。それらを見てみると、日本にはすでに江戸時代からある、伊勢46