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概要

JST20周年記念誌JapanWay0203

第1章│社会の変化と共に広がったJSTの役割北澤宏一第四代理事長者や技術移転の専門家などの支援を重視する「黒子」的機関から、イノベーションを駆動する機関へと転換しようとする意志を明確にした象徴的な出来事ともなった。北澤新理事長就任の4カ月前に、第1次安倍政権が力を入れた「イノベーション25」が閣議決定されている。2025年までを視野に入れ、豊かな日本の未来を実現するために取り組むべき政策を示したものである。これは、日本学術会議会長を退任して間もない黒川清内閣特別顧問を座長とする「イノベーション25戦略会議」の検討結果が基になっている。「若手研究者、意欲的・挑戦的研究への思い切った投資」「大学の研究力・教育力の強化」など研究開発に関する政策も盛り込まれた。「イノベーション25」の策定には、金澤一郎日本学術会議会長が「イノベーション25戦略会議」の委員を務めるなど、日本学術会議が全面的に協力している。日本学信頼感は急落し、現在でも戻っていない。JSTとして打った手は、東北大学の研究者を中心に必要な研究が途切れないようにする支援策。次に、海外の研究費配分機関(ファンディングエージェンシー)と連携した研究・調査支援制度を導入した。地震の翌月、米国科学財団(NSF)の緊急研究支援プログラム(RAPID)が東日本大震災関連の研究支援を募集したことが契機となった。JSTが始めた制度は、J-RAPIDとして、その後も2015年のネパール地震や2016年の熊本地震などにも活用されている。術会議の会員でもあった北澤は、2009年12月に設置された低炭金澤会長を委員長とする「日本学素社会戦略センター(LCS)も、術会議イノベーション推進検討委再生エネルギーを主な対象に低炭員会」の副委員長として議論を主素技術・エネルギーシステムの調導し、最終的に「イノベーション査・分析を行い、2012年7月に「低25」に取り入れられたさまざま炭素社会づくりのための総合戦略な提案をまとめた。とシナリオ」を発表した。現在、日本は原発を使い続ける選択を■東日本大震災で生きたとっているが、国民的な議論が必地域支援の経験要だとする北澤の主張と同様な発信が、その後もいろいろな局面で北澤宏一の日本学術会議を舞台繰り返されている。にした活動は理事長になってから北澤を引き継いだ中村道治理事も続く。2011(平成23)年3月11長(2011年10月~2015年9月)の日、福島第一原子力発電所(以下下でも、地域の主体性を生かすき原発)の大事故を招いた東北地方め細かな復興促進支援策プログラ太平洋沖地震(マグニチュードムが進められた。この中から、氷9.0)が発生した。日本の原発でをシャーベット状にすると、魚をは過酷事故が起きた場合の対策が、完全に凍らせる冷凍ではなく、鮮事実上欠落していたことが国内外度を保ったまま長期冷蔵が可能にに明らかになる。国際的な常識となることを利用、東北地方の新鮮なっていた5層にわたる深層防護な魚を九州まで送り届けることをという安全対策を日本はとってい可能にしたなどの成功例が生まれなかった。原子力工学者をはじめている。それまで、冷蔵状態で送とする科学者に対する一般国民のり届けられるのは関西の料亭まで29