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概要

JST20周年記念誌JapanWay0203

第1部│展望編な変化があったことも、中村は指摘する。一方、科学技術情報部門については採算性についての問題があった。「科学技術文献速報サービス」は、1957年に発足して以来、JICSTの事業の柱となってきた。1976年にオンライン情報検索サービス(JOIS)として再スタートして、さらに年々、蓄積される内外の科学技術・医学文献の数は増え続けていた。1997年には、研究開発を促進し、新産業の創出に寄与することを目的に、国立研究機関などの研究者、研究課題、研究機関、研究資源、研究成果に関する情報を集めた「研究開発支援総合ディレクトリデータベース(ReaD)」を構築する事業が始まる。さらに、大学、国立試験研究機関の研究成果を企業へ技術移転し、実用化を促進することを狙った、データベース「J-STORE」のサービスも2000年にスタートしていた。こうしてみるとJST発足後、情報サービス事業も着々と発展しているように見える。しかし、JICSTには、産業投資特別会計制度という大きな「枠組み」が付きまとっていた。この制度は、長期的には回収できるが、民間だけでは十分な資金が供給できない事業を対象としている。JICSTの中核事業である科学技術文献速報サービスと、それを発展させたJOISにこの制度が適用されていた。ところが順調に進んでいた事業が次第に厳しい状況となり、いつまでたっても産業投資特別会計の資金が返せない状態が続く。こうした状況に、JICST最後の理事長を務めた中村も当然、頭を悩ませていた。合理化の要請に対し、特殊法人であり、公益を優先すべきだという一部の声もあったが、「国民に余計な負担をかけないため、合理的な仕事をし、経費「ReaD」のウェブサイト節減を図るのは民間の企業と同じ」というのが、JST発足後も中村が職員に向け、発し続けた言葉であった。さらに合併によって顕在化したのが、両法人の労働条件の違いである。一方は課長補佐を管理職扱いにして超過勤務手当を支払わない、他方では東京勤務であるということで地域手当が出るなど、合併前の両法人間にあった労働条件の違いの解消に数年を要する事態となる。しかし、一番の問題は、両法人職員の意識の違いだった、と川崎雅弘は言う。「委託開発が長年、主要な事業だったJRDCの職員が重視するのは、結局『人』だったのに対し、JICSTが相手にしていたのは情報という『物』だったことによる感覚、文化の違いがあった」ともあれ、長い目で見れば合併がJSTによい結果をもたらしたことは、明らかだ。「1+1=2でなく1+1=3という気持ちで一体となって頑張ろう、という私の言葉に職員が応え、よく協力してくれた。その結果、両法人の融合もうまくいって、順調に仕事が展開できたことをありがたく思っている」と、中村守孝は振り返る。数の多い旧JICSTの職員が、拡大した仕事をかなり分担しなければ、旧JRDCが担っていた事業分野の拡大にすら対応できなかったことは間違いない。国際協力、理解増進という新たな事業の展開も、旧JICST系の人員枠を振り向けることで、全体の人員を増やさずに対応することができたのも明らかである。22